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森家の歴史 mori residence
『愛媛県内子町六日市森(油屋)徳三郎家現状記録調査報告書1』(2010年8月、森(油屋)徳三郎家・現状記録調査団編)をはじめとした資料をもとに作成しています。
森家は、大洲藩の紙役所の向かいに位置し、六日市地区でも指折りの富裕な商家でした。江戸後期のその商いは今でいうところの総合商社的なものであったらしく、五十崎や小田はもとより、大洲、宇和島までをも商圏としていいました。食料品や衣類、日用品の販売をはじめ、貸付銀や頼母子の管理などの金融業、酒造業など幅広く商いを行っていたことが分かっています。
大名にお金を貸す、大名貸しも行っていたらしく、豊後(大分県)府内藩との記録が残っています。大洲藩の要請に基づき、資金を提供したことも度々あり、当時の庄屋が六日市の記録をまとめた『六日市永久録』で知ることができます。また、建物には、大洲藩士がお金を借りに来る際に使ったと伝わる裏木戸も現存しており、その繁栄を窺い知ることができます。
明治初期の地積図を見ると、森家の敷地は六日市地区の中でも最大級の面積を占めており、その点からも内子を代表する商家の一つであったと言えます。明治期の森家の商売がどのようなものであったか現時点では定かではありませんが、当主が郵便局長を務めるなど、町の中心的な役割を果たしていたことがわかります。
森家には、数多くの古文書が残されており、今後研究が進めば、その歴史的価値はさらに高まることが予測され、江戸から明治にかけての内子の経済活動を知るうえで貴重な史料となることが期待されています。
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